トップページ > 薬学と私 > 一般社団法人 日本癌医療翻訳アソシエイツ 副理事長 野中希 氏 「がん情報の翻訳アドボケート」

薬学と私 第14回

 2004年、『海外がん医療情報リファレンス』サイトを立ち上げて以来、当会はボランティアが集まって海外のがん情報を翻訳する活動を行っています。私自身ががん情報に関わり始めて10年近くになりますが、インターネットの普及とともにがん医療情報の世界は大きく様変わりし、患者の医療への参画も随分定着してきたと感じます。
‘がんサバイバー’という言葉が広く患者のあいだでも用いられるようになり、その定義は「がんと診断された時点から人生の最後まで」、「患者本人および家族や友人、支援者も含む」と、一体感を生む力強い言葉となって用いられています。昨年あたりからはがんの‘アドボケート’(がん患者支援者および支援団体)という言葉もしばしば耳にするようになり、それまでなにものとも言えず続けてきたわれわれの活動も自身のアイデンティティをようやく見つけた気がします。言葉とは不思議なもので、その呼称ができて初めて市民権が得られるように思います。
 私の翻訳活動のきっかけとなったのは夫の弟のがんでした。今回、貴重な機会を頂き、私の患者家族としての思いや経験からアドボケート活動の経緯を綴らせていただきます。

 2001年2月に夫の父がC型肝炎による肝臓がんで亡くなりました。40代で胃がんを発症し克服したのですが、手術時の輸血が原因とみられる肝炎が発覚、60代以降入退院を繰り返して72才で他界しました。良くも悪くも治療は病院に任せて家族は介護に徹しました。
 同年10月に夫の弟が体調の異変を訴えました。夏頃から血液検査で貧血と腹痛があり、原因を突き止めるため大きな病院で検査しなければならないことを電話で伝えてきました。私より年上だった義弟でしたが42才になったばかりで独身、大学生のときすでに母親を高血圧で亡くしていたため、父が亡くなった後、家族は私たちだけでした。
義弟の電話にただごとでないと直感したものの、大腸カメラや胃カメラを何度受けても原因は特定できず、さらに精密検査を受けるため検査入院した頃には12月も下旬になっていました。急激な痛みと貧血は一層悪化しており、クリスマスイブの日、とうとう小腸が破裂して緊急手術となりました。手術で初めて小腸の腫瘍が判明しました。小腸を1m切除し、術後は5-FU+シスプラチン投与、その後は抗がん剤+温熱療法を受けましたが、消化器の癌は抗がん剤が効きにくいと言われていたとおり、ほとんど効果はみられませんでした。
 義弟の手術直後から夫の心労はひどく、食事も摂れない、夜も眠れずソファでテレビをつけたまま仮眠するという逼迫した状況が続きました。相次ぐ家族の病、生まれ育った家族でたった一人残った弟を失くしてしまうのですから相当なショックだったでしょう。同年代でのがんはなおさら受け入れ難いものでした。そんな夫を見ながら、義弟に1カ月でも1週間でも長く生きてほしいと、最善の治療とケアが受けられるよう全力を尽くそうと私は決意しました。それがどんなに難しいことかもそのときはわからずに。
 がんの知識がなかった私たちは主治医の言葉が理解できず、はじめから戸惑いました。「腹膜播種」「浸潤」などの言葉をとにかくインターネットで調べました。が、小腸という稀ながんについては記述もほとんど見あたりませんでした。告知しないまま本人は最後の貴重な瞬間を知らずにいていいのかと疑念を抱きつつ、代わって治療の決定をしなければならない家族の重圧も相当なものでした。その後は坂を転がるようにすべてが悪い方へ悪い方へと運び、再度のバイパス手術、腸閉塞、疼痛、貧血と最後まで闘いながら半年後に義弟は他界しました。わずかな期間でしたが、家族としてもセカンドオピニオンを求めたり治験を探して問い合わせをしたり、転院などあらゆることを経験した気がします。

 そんな中、私はインターネットで英語の医療情報と出会いました。日本語では国立がんセンターのホームページの他にはわずかな情報しかなかったのに対し、英語のがん治療情報の多さに驚きました。米国国立癌研究所(NCI)はじめ公的機関や医療施設、患者団体などから一般向けに医学的説明や最新情報が詳述されていました。偶然に参加した米国の患者さんのメーリングリストでは、義弟が亡くなった後も新薬の情報、細胞や経路の研究、薬剤の機序まで多くのことを教わり、文化と医療リテラシーの違いを痛感しました。そして希望に満ちた海の向こうの情報を日本の患者にも伝えたいという一心で翻訳活動を始めました。原文の著作権を求めて一つ一つコンタクトを取り、ボランティアの翻訳者や監修者も少しずつ集まってくれました。

 折しも分子標的薬や抗体薬の登場によりがん治療に大きな希望がもたらされた時期で、次から次に現れる新薬の名称や嬉しいニュースは、評判だけでなく、実際多くのがんを治療できる疾患に変えていきました。グリベック、リツキサン、ハーセプチン、テモダール、初の血管新生阻害剤アバスチンの承認やアロマターゼ阻害剤等々多数の新薬の登場を、翻訳活動を通して見て来られたことは非常に高揚することでした。分子生物や遺伝子研究も進み、イレッサなどの分子標的薬も有効なサブタイプを見つけることによってさらに有用な治療薬となっています。さまざまな新薬により長期の延命に与っているという患者さんに何人も出会う度、治療薬の進歩に心から感謝せずにはいられません。
 一方、ドラッグ・ラグの弊害に絡む問題として、患者のなかには個人輸入で日本にない薬を求めざるを得ない人たちもありますので、必ず付随する有害事象を軽視せず、リスクとベネフィットを発信することの重要性と対峙することを普段より旨としています。
 弊サイト(http://jamt-cancer.org/)の運営には立ち上げ当初から共感いただいた医師、薬剤師他の専門家が監修として参加くださり、現在100名を超えるボランティア翻訳・監修者が日々取り組んでいます。日本のがん情報も増え、インターネットの大海の中で信頼できる情報源のニーズが増すなか、患者のエンパワーメントや医療リテラシーの向上に寄り添えるアドボケート活動を担っていきたいと考えます。