トップページ > 薬学と私 > 京都大学iPS細胞研究所 知財契約管理室長 高須直子 氏 「夢中になれる仕事に就けることの幸」~iPS関連特許で世界と戦う~

薬学と私 第11回

 私は大学4回生から修士課程修了までの3年間、白血病細胞HL60が、フォルボルエステルという化合物の作用でマクロファージに分化する際に発現変動する遺伝子群について研究を行っていました。細胞を見るのが大好きで、できれば細胞や遺伝子に関わる仕事につきたいと思っていたところ、運良く教授の紹介で、住友製薬株式会社の研究所に就職することができました。そこでは遺伝子組み換えで作製した「t-PA(組織プラスミノーゲン活性化因子)」という血栓溶解作用を持つタンパク質の研究を行っていました。研究所に勤務して4年経った頃、このt-PAが裁判に巻き込まれる事態となりました。米国バイオベンチャーのジェネンティック社(G社)がt-PAの特許権を持っており、G社の許可なくt-PAの開発を行っていた住友製薬は、「特許権を侵害している」として訴えられたのです。住友製薬の法務部では急遽、訴訟対策チームが結成され、遺伝子組み換えという当時あまり馴染みの無かった新しい技術の分かる人間が必要ということで、私は研究所から法務部に異動となりました。平成3年のことでした。

 それまで純粋に研究しかしたことのなかった私にとっては、研究データや学者の意見などをもとに証拠や反論を作成し、敵(相手方)の意見に反論していく知財の世界がとても新鮮で面白く、あっという間に夢中になってしまいました。
住友製薬のt-PAはG社のt-PAと1アミノ酸異なるものでした。全長527アミノ酸のうちのたった1つが異なっていることで、住友t-PAはG社の特許の範囲内か範囲外かが争点となりました。一審である大阪地裁では「両者は異なる」と判断され、住友製薬は勝訴しました。しかしその後、G社に控訴され、二審である大阪高裁では「両者は実質同一」と判断され、敗訴してしまいました。一審開始からすでに6年以上の月日が経過していました。 勝訴の日はもちろん、敗訴の日のことも、十年以上経った今でも忘れることはできません。住友製薬は事業の撤廃、t-PA製造用細胞の廃棄などを行わざるを得ず、「特許証」という紙切れ1枚で企業を事業撤廃まで追い込む特許権の恐ろしさを身にしみて痛感しました。敗訴はしましたが、教科書ではなく実戦で身につけたものや、まさに死に物狂いで戦っていた上司が教えてくれたものは大きく、今でも私の知財人生の原点となっています。

 訴訟後は、知財の一般的な仕事、つまり出願書類を作成したり、出願したものを権利化していく(特許庁の審査官が「この内容では特許にできません」と言ってくるので、それに対して反論を行い、特許を権利化していく)という仕事を行っていました。たまたま2003年頃から山中伸弥先生(今でこそ大変著名な先生ですが、当時はまだあまりお名前が知られていませんでした)の出願を担当することになり、先生にアドバイスを頂きつつ、特許出願や権利化を行っていました。先生からはiPS細胞の夢物語を聞いていたものの、一つ間違えば夢想家学者(ごめんなさい!)の研究だなあと思っていました。山中先生が奈良先端大から京大に移られてからは先生の出願を担当することも無く、研究の話もお聞きしていなかったので、2006年8月の「マウスiPS細胞樹立」のニュースには本当に驚き、また自分のことのように嬉しく思いました。先生は2007年11月にはヒトiPS細胞も樹立され、この国内研究者による輝かしい研究成果を確実に知財として確保していこうという動きが国家レベルで急速に高まっていました。そんな折、以前に出願でご一緒したのがきっかけで、山中先生にiPS細胞の知財をやらないかとお声をかけていただきました。私にとっては大きな転機でした。iPS細胞の知財戦略と言えば、国家レベルの一大プロジェクトです。果たして自分に務まるだろうかと何度も考えました。しかしここで断ったら一生後悔するのではないか、それよりも一生懸命やってみて、その結果、やっぱり自分の力では及ばなかったと思うほうがまだましではないかと思い、思い切って2008年5月末で、約20年勤めた住友製薬(大日本住友製薬)を退職し、翌6月より京都大学iPS細胞研究所(CiRA)に勤務することになりました。

 iPS細胞の特許は、もちろん山中先生の出願が一番早いですが、その後ろに幾つもの良く似た内容の他者の出願が続いており、非常に競合しています。海外のベンチャー企業などに大事な特許を取られると、特許の使用料が高くなったり、使わせてもらえなかったりと支障が生じる可能性があります。私達CiRAの知財グループは、海外勢に負けない知財力を身につけ、大切な特許を守り、また攻めに用いるために、一丸となって日々頑張っているところです。

 どこの世界でも同じかもしれませんが、知財の仕事を行う上で一番大切なのは、どれだけ夢中になれるかだと思います。過去にも「この人には絶対かなわない」と思ったのは夢中になっている人でした。夢中になっている人は集中しており、また知識習得にも貪欲で、プライドなど捨てて誰にでも聞きに行きます。住友製薬時代の上司がそういう人でした。私も常にそういう人間でありたいと思っています。そして次に大切なのは目標をはっきり持つことです。これがないと視点がぼやけ、やっていることの意味が分からなくなってしまいます。そして最後に大切なのは実戦力です。実験データをもとに自分で出願の書類を作成し、また論文や研究者の話をもとに反論書を作成するという作業は地味で時間のかかる作業ですが、これはいくら教科書を読んでも身に着くものではありません。知財というと、世界中を飛び回り、訴訟や交渉をこなすという格好良い姿を想像するかもしれませんが、実は、研究者の話をじっくり聞き、地味で小さな仕事を黙々とこなすことが、素晴らしい知財担当者となる一番の近道なのではないかと思います。若い皆さんが知財に興味を持たれ、将来、海外勢に引けを取らない知財人材が多く輩出されることを期待しています。