トップページ > 薬学と私 > 名城大学薬学部 医薬品情報学 准教授 大津史子 先生 「薬剤師はメスを持って患者を治すことはできないが、「医薬品情報」というメスで患者を救い、医療を動かすことができる」

薬学と私 第10回

 薬学部を卒業して2年間、医学部の外科学講座の医局で実験助手兼教授秘書をやっていました。その頃は、現在のMRが、プロパーと呼ばれた時代。若い医師の薬の選択の根拠は、エビデンスではなく、プロパーさんでした。日常の中で、薬学部4年間で学んで来たことが、“臨床の場に全く活かされていないのではないか、薬剤師ってなんだろう”という疑問がわいてきて困惑したことを覚えています。その頃、名城大学の薬学専攻科の修了生による対談記事を読みました。その記事には、病棟で活躍する薬剤師が描かれており、誌上からですが臨床薬学の一端に触れる事が出来ました。すると、“もう一度、学び直したい、薬剤師に何ができるのかを見てみたい”という気持ちを抑えきれず、名城大学薬学専攻科に入学しました。これは私にとって「薬学」との再会であり、人生の転機でした。

 名城大学薬学専攻科の学生として、ICUで半年間研修を行いました。脳血管障害を主とするICUでは、意識のある患者さんはほとんどなく、患者さんの家族とは話しはできても、ご本人とお話しした覚えはあまりありません。その日常の中で、常に医師と話すことを心がけていました。そして、患者さんの病態に疑問があったり、医師から質問があったら、当時大学の医薬情報センターに戻り、夜遅くまで文献検索をし、他の研修病院から同じように調べに戻って来た同級生と議論しました。そして、いつもそこには、恩師である薬学専攻科長の二宮 英先生がいらっしゃいました。二宮先生は、日本で最初に病棟活動を始めた薬剤師でした。我々の議論に常に参加し、間違った方向へ行かないようにアドバイスをし、バックアップをしてくださいました。医師は、文献を揃え、根拠をもとに話をすると、学生だった私の意見を取り入れて、行動していただきました。その積み重ねは、いつの間にか、“これ調べて”という調査依頼から、“これどう思う”という意見を聞かれる対象になっていきました。医療に貢献しているという実感を感じ取った瞬間でした。

 思い返すと、これは、今で言うPBL(Problem based Learning)だったのだと思います。目の前の患者のケースを題材に、“この患者さんのために何かできないか、何か問題はないか”を考え、調査し、議論し、評価し、プランを立てて医師に返す。毎日必死で行ったこの繰り返しは、たった半年という短い期間でしたが、恐らく、学部で4年かけて学んだものを遙かに超える量と質であったと思います。

 この凝縮された半年の経験と同級生やお世話になった方との絆は、今の私の基盤を形成しています。この経験は、私に「情報で患者を救うこともできるし、反対に殺してしまうこともある」ということを、確信させました

 アメリカに留学をした際、カイザーパーマネンテという全米で最大の保険会社である「Drug Information」にお世話になりました。そこでは、自らをDrug Information Pharmacistと呼ぶ、薬剤師達が活躍していました。そして、彼らが作りあげた情報を基盤としてカイザーという巨大な保険会社の医薬品に関する意思決定がなされていました。医薬品の採用、使用評価、使用ガイドライン作成、莫大なデータを基盤とした薬剤疫学的研究など、カイザーという巨大な会社を動かしているという実感を彼らは「influence」と表現しています。このとき感じた、「情報で医療を動かす」という感覚は、私の魂を揺さぶり、“情報はおもしろい”とワクワクしたことを覚えています。

 今、薬学教育の現場で、医薬品情報教育と医薬品情報研究に携わっています。
医薬品情報教育においては、「医薬品情報というメスで患者を救い、医療を動かすことのできる」ということを実感し、理解できる環境、そしてワクワク感を提供することが使命であると考えています。また、医薬品情報研究においては、「無い情報を創る」ことによって、患者を救い、医療を動かす原動力になりたいと考えています。臨床現場では、情報があるのに利用されていないこと、気付かれていないこと、解決されていないことが数え切れない程あります。それを薬剤師の視点から見ることで、気づき、解決に向かわせることができると信じています。また、情報が無いために起こっている悲劇も多数あります。そんな情報は、薬剤師がその情報の創造を担うべきであり、その積み重ねが、患者を救い、医療の質を向上していくものと確信しています。それが、チーム医療の本質ではないかと考えます。

 今年3月、東日本大震災という未曾有の震災が起こりました。震災発生からたった3日しかたっていない3月14日、アメリカの国立医学図書館NLM(National Library of Medicine) は、そのウェブサイトに「Emergency Access Initiative Japan - earthquake and tsunami」を立ち上げました。これは、日本の緊急事態に対してNLMを中心とした図書館や出版社の団体が、電子ジャーナル、電子本(ebook)とCochrane database of systematic reviews、DynaMed、Essential Evidence Plusなどの有料のデータベースを無料公開するというプロジェクトでした。このニュースを目にした時、“こういう形で震災支援ができるのだ”ということに非常に大きな衝撃と感動を覚えました。さらに、この対応が、週末を挟むたった3日間で行われたことで、その行動力と決断にも驚きを禁じ得ませんでした。そこで、アメリカで汎用されている医薬品情報源のMICROMEDEX(R)も無料公開をお願いできないかと考え、提供元にお願いしました。すると、6月までの無料公開と放射線障害の汚染物質除去剤4剤の患者向け資料や中毒情報などの翻訳許可をいただきました。特にヨウ化カリウム以外の汚染物質除去剤は、日本で使用した経験はなく、情報は不十分でした。そこで万が一、体内被曝が起こるような事態になったときに備えておくことが重要と考え、所属している日本医薬品情報学会の幹事、薬学部学生及び広報委員会の協力を得て翻訳し、日本医薬品情報学会ホームページ(http://www.jasdi.jp)での公開を行いました。

 薬剤師は「薬物療法に関しては、責任をとる」という覚悟を持つべきです。患者さんから副作用について聞かれた時、「それは医師に聞いてください」という返事をしていることがないでしょうか。なぜ「私に聞いてください」と言わないのでしょうか。後発医薬品に変更する場合でも、しっかりした情報評価のもとに適切なものを選択し、説明して使っていくことで薬剤師は責任を果たすべきです。もしかしたら、後発医薬品に変更することで、アレルギーなどの副作用が起こることだってあります。その場合は、きっちり説明し、フォローし、納得を得た上で違う薬剤に変更していくこと、それが、責任を果たすことだと考えます。

 医薬分業は、「毒を処方できる医師から、毒を隔離して管理する」ことがその発生の根源です。つまり医療安全の根本であり、社会が、薬剤師に求めている職能発揮の源であることは、昔から変わっていないはずです。来年3月には、6年制薬学部を卒業した薬剤師が巣立ちます。6年かけて学んで来た学びを、目の前の患者さんの薬物療法に活かし、責任のとれる薬剤師になって欲しいと思います。