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ペニシリン

ペニシリン
「有名なアオカビの話だけでは生まれてこなかった世界初の抗生物質」

 1928年、夏季休暇から戻った英国の医師A. フレミングは、黄色ブドウ球菌が培養されたシャーレを見て驚きます。どこからか混入したアオカビの周囲にあるべき黄色ブドウ球菌のコロニーがことごとく溶けていたからです。顕微鏡で見ると「ほうき」の形をしていることから、ラテン語で「ほうき」を意味するペニシルスにちなんでペニシリウムという名を持つこのカビを培養すると、その培養液には強力な抗菌作用物質が生成されることをフレミングは発見し、まだ正体が見えない、この物質を「ペニシリン」と名づけました。この話は、物事を観察する際の洞察力について説く際にしばしば引用される有名な話ですが、実は、その翌年、フレミングは、この世界初の抗生物質「ペニシリン」の研究を辞めてしまっています。培養液に含まれているはずの有効成分が不安定で、どうしても抽出できなかったからです。

 「ペニシリン」の研究が再開したのは、フレミングの発見から 10 年後のこと。それは、ナチスの台頭により英国に移住したドイツ系ユダヤ人の生化学者 E. チェーンと、オックスフォード大学病理学研究所長 H. フローリーとの出会いに始まります。1938 年は、ナチス・ドイツがオーストリアに侵攻した年で、欧州全土に大きな暗雲が立ち込めていました。十分な研究費も無い状況で、1940 年、彼らはペニシリンの粉末を得ることに成功しました。N.ヒートリーという天才的な化学者の功績です。その抗菌活性はとても強力で、しかも様々な小動物に投与しても安全性上問題はありませんでした。また、当時、人類を苦しめていた肺炎、しょう紅熱、ジフテリアなどの原因菌に対しても有効であることがシャーレの上で確かめられたのです。

次は、動物実験です。正しい有効性を示すためには、多くの動物を使った実験が必要です。しかし、同年、ナチス・ドイツは領土を広げフランスにまで侵攻。英国政府はチャーチルを首相に迎え、対ナチス政策で大変な状況下にありました。動物実験を行うには、多量のペニシリンが必要で、そのための費用を捻出しなくてはなりません。方々の有力な製薬企業を尋ねましたが、どこもそんな余裕はありません。結局、なんとか米国ロックフェラー財団の資金援助を受け、連鎖球菌に感染させた 50 匹のマウスを2 群に分け、片方にペニシリンを投与する実験をするまでに至りました。実験は大成功で、ペニシリンを投与したマウスは 25 匹中 24 匹生き残ったのに対し、非投与群では全滅でした。ブドウ球菌に感染させたマウスでも十分な有効性が確認され、これらの結果は英国医学誌「ランセット」に掲載されました。

そして、1941 年、彼らは舞台を米国に移します。当時、米国はまだ参戦していなかったため、研究を続けるには最高の環境が整っていました。いよいよ臨床試験の開始です。実は、彼らは既に、感染症で重体の警察官にペニシリンの注射投与をした経験がありますが、尿中への排泄速度がとても速く、なかなか有効血中濃度を維持できませんでした。ゆえに、適切な投与計画を立てる必要上、これまでとは比べ物にならないくらい大量のペニシリンが必要となりました。米国政府の後押しで複数の製薬企業の協力による生産プロセスの効率化が進んだため、十分臨床試験ができるだけのペニシリンが準備できました。

そして、1942年、流産による産じゅく熱で入院していたコネチカット州の女性に投与されました。何をしても下がらなかった熱が 24 時間後には下がり、ついには完治するに至りました。前年の 12 月に日本軍が起こした真珠湾攻撃により米国も第二次世界大戦に参戦したばかりの頃の話です。その後、終戦の 1945 年までの間、ペニシリンは何百万人もの負傷兵の命を救いました。そして、1945 年のノーベル医学生理学賞は、フレミング、フローリー、チェーンの 3 名に贈呈されました。