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アスピリン

アスピリン
「父を思う子の願いを込めて。世紀を越えた医薬品」

 ドイツ人化学者、F. ホフマンは、いつも嘔吐で苦しむ父の姿を見て、「何とかしてあげたい」といつも思っていました。父親の嘔吐の原因は、リウマチの痛みと炎症を和らげるために服用していた「サリチル酸」の副作用によるものでした。

 「痛み」は、QOL (Quality of Life: 生活の質)を落とすものの代表格で、古来より、痛みを和らげることは人々の切実な願望でした。それゆえ、鎮痛作用のある植物は古くから知られており、セイヨウシロヤナギもそのひとつです。紀元前4~5世紀、古代ギリシア時代の医師、ヒポクラテスがセイヨウシロヤナギの葉を陣痛の緩和に用いたという記述もあるくらいです。その鎮痛成分が配糖体サリシンとして単離されたのは、19世紀始めのこと。サリシンは容易に分解、非糖部が酸化を受けベンゼン環に水酸基とカルボキシル基をひとつずつ持っただけの単純な有機化合物「サリチル酸」に姿を変えます。

このサリチル酸こそが鎮痛消炎作用の活性本体であることがわかり、ホフマンの父親のようにリウマチなどの耐え難い痛みと腫脹の緩和を目的に当時処方されていました。ホフマンは、「リウマチの痛みは癒えても、父は決して楽になってない」と考えるようになり、サリチル酸の分子構造を少しずつ変化させて、鎮痛消炎作用を維持したまま副作用を軽減した化合物ができないかと、様々な種類のサリチル酸類似物質を合成しました。今で言う「ドラッグデザイン」の走りです。

そして、1897年、サリチル酸の水酸基をアセチル化したアセチルサリチル酸、すなわちアスピリンが誕生しました。必要な薬効だけを残して副作用を減弱させることは、今の創薬においても共通の概念です。

また、現代のQOLの考え方にも通じます。例えば、抗がん剤治療と聞くと、ホフマンの父親のようにひどい嘔吐が四六時中続く苦しい治療を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、最近の抗がん剤開発は、がんがどれだけ縮小したか(ORR: 奏効率)よりも、がんの成長をどれだけ長く抑えたか(PFS: 無増悪生存期間)、そして、どれだけ延命効果があったか (OS: 全生存期間)を指標としています。つまり、細胞毒でがん細胞を無理に死滅させようとすると正常な細胞までもダメージを受け、強烈な副作用となるので、まずはがんが大きくならないようにコントロールするというQOL重視の治療概念が生まれたわけです。これにより正常細胞が受けるダメージは随分と小さくなりました。分子標的薬の登場がもたらした、がん治療のパラダイムシフトです。

ところで、セイヨウシロヤナギは何のためにサリシンを生合成するのでしょうか?そのヒントは、2008 年に米国国立大気研究センター (NCAR) が発表した報告書にあります。干ばつのストレスを受けたクルミの木の一種が、大量のサリチル酸メチルを大気中に放出することを観察したとの報告です。(http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2521016/3372365?blog=jugem)

 ドイツ薬理学会の理事長でアスピリンの基礎研究を続けるK. シュローワ博士は、2010 年 6 月 30 日付、産経新聞紙上で、「サリチル酸は、植物の防御物質。遺伝子組換えでサリチル酸の生合成を抑制するとその植物は生育できない」と述べ、現在、10 件以上の薬理学的研究プロジェクトが進行中であることを明らかにしています。

シュローワ博士の師、J. ベイン博士は、アスピリンが炎症媒介物質の一種であるプロスタグランジンの生合成を抑制することを突き止め、ノーベル医学生理学賞を受賞していますが、アスピリンの誕生から 110 年以上経た現代においても、世界中でこの奇妙で単純な分子構造を持つ低分子医薬品の研究が進んでおり、毎年、新たな知見が数多く報告されています。その年の最大の発見に対して送られるアスピリンアワードという世界的な学術賞もあり、アスピリンは多くの研究者を魅了するとともに、その世界は今尚奥深く果てしなく広がっています。