トップページ > 活薬のひと

活薬のひと

 現在私は、二つの科研プロジェクト「スイスにおける高齢者のウェルビーイングと代替医療の適用に関する文化人類学研究」/「多世代共生『エイジ・フレンドリー・コミュニティ』構想と実践の国際共同研究」(特設分野研究 ネオジェロントロジー)を進めています。高齢化する社会において、①高齢者のエイジング・イン・プレイス(慣れ親しんだ気に入りの場所で暮らす)に配慮した生活の場の整備開発や、②高齢者の多様なウェルビーイング(心地よい生)を充足する活動はすべての世代の人々が満足して年を重ねられる「エイジ・フレンドリー」環境の創出に繋がるという考え方が、リスクを契機として豊かな生き方を再考するという観点から注目を集めています。上記のプロジェクトは、人間は生老病死を生きる、つまり常に変化や移動に晒される存在であるという認識を出発点として、人々がウェルビーイングを探求し、養生の文化を育む姿を照らし出すことが共通のテーマです。

 私がスイスの民俗治療に興味を抱いたきっかけは、フランスではニセ医者とされていたモーリス・メッセゲの薬草治療が、現代スイスで生かされている状況を体験したことです。水脈占い師の父親の教えをもとに経験を積んだとはいえ、医療免許を持たなかったメッセゲは、20世紀フランスでは正統治療者とはみなされなかったのです。ですが、1997年初秋、スイス中部クランモンタナを訪ねると、そこでは、現代医療に基づく医師の健康診断、ホメオパシー(同種療法)の医師による問診、そしてメッセゲの薬草療法が組み合わせ実施されていました。最も印象深かったことは、様々な専門職者との長時間にわたる語り合いでした。足の裏の状況から身体全体を判断するというリフレクソロジーを受けながら、日本では新幹線でしばしば仕事場に行くと伝えた私に、魂がついていくスピードで暮らすことも大切と施術者は教えてくれました。手や足の薬草湯浴の時間には、施術者が薬草の採れる地域や効き目についてゆったり話してくれます。食事は塩で少し味付けした料理で、その素材を感じながら一人でじっくり食べます。自分だけのために組まれたスケジュールに沿った時間は、自分の生活をゆっくり再考する時間、調査の途上で思いがけず立ち止まる機会を私に与えてくれたのです。

 メッセゲの薬草に関する話は、それが採れる場所や最もよい時間、使い方など、地域文化の情報に満ちたものでした。後に、民俗治療や伝統的食文化で知られている北東部アッペンツェル地方を訪ねるようになりました。麓のザンクトガレンの病院の助産師を辞めて、自宅で助産を続けているオッティリアに出会ったのもここでした。オッティリアが家に拘る理由は、妊婦たちがここにしばらく住み込み庭で野菜やハーブを育て料理を作る日常生活を送ることこそが、よい出産を実現するという信念でした。オッティリアが作ってくれる塩を加えない人参スープは、ほのかに甘い味がしました。
 高齢で独居しているオッティリアの家には、やはり高齢女性である隣人モニカが互いの庭を通ってしばしば様子を見に来ていました。オッティリアとモニカの楽しみの一つは、地域の民俗治療者たちを訪ねることです。薬草がよく育つ陽光に惹かれてドイツから移住したというフォーゲルの治療所は、ハーブが咲き乱れる薬草園といった趣です。民俗治療者の知恵に熱心に耳を傾けたという16世紀のパラケルススの名を冠したクリニックでは、世界各地の治療や食養生が紹介されています。日本の味噌や茶は人気の商品です。幼い頃父親に薬草治療を習ったモニカは、山の暮らしにおいて自分で自分を癒すセルフ・ヘルプは生きることの出発点だといいます。とはいえ、彼女たちの民俗治療との付き合いを見ていると、様々な地域の植生や食物といった環境や文化に触れることを存分に楽しんでいるように感じられました。
 後に、在宅生活支援の調査を行った時に、人口5600人ほど(1997年)のこの町では、大都市チューリヒと比較すると、日常の交流が活発であることが保険制度に基づく支援を補完し充実させているというインタビュー結果に興味を抱きました。アッペンツェルのソーシャルワーカーによると、ここでは、ヘルパーも幼い頃から顔見知りの隣人を訪ねる雰囲気があるというのです。調査協力者のルースは、首都ベルンの大学で法学を学び合衆国に留学もしていますが、子育ては故郷のこの町でしたいと考えてUターンしたといいます。4つの公用語を持つスイスで、ローカル鉄道の終点の小さな町が、スイスドイツ語方言を話し直接民主制など地域の伝統を守り続ける住人を包摂しつつ、観光客にも開かれた祭りの舞台などコモンズ(共有地)を育て、他の地域から孤立せずにいることは、エイジ・フレンドリー・コミュニティの一つのありかたを示していると思われます。

 アッペンツェルとは対照的に、新しい場所に移住した人たちが終の住処としてエイジ・フレンドリー・コミュニティを作ってきたケースにも出会いました。ベルン郊外、エメンタール地方のリュティフーベルバートの多世代複合型居住コミュニティです。19世紀から温泉治療所やホテルがあった場所に、継続ケア付き高齢者コミュニティ(CCRC)、障がい者たちが暮らし学び働く場所、子どもたちが学び活動する場所、コンサートホール、レストランなどが建てられています。広大な農地では野菜や薬草、蜂蜜が生産され、これらの食材やチーズを使った地元の料理がレストランで提供されます。学校では、スイスで広く行われているシュタイナーの感覚や実践に基づく方法がとりいれられています。移住者たちの包摂感を重視しているこの街では季節ごとのイベントが開催され、多世代が行き交い賑やかないくつものコモンズが提示されています。とはいえ、この街では楽しく交流するばかりではなく、活動と休止のリズムが大切にされています。終の住処としてこの地への移住した高齢者たちの心配を取り除き体調を整えるため、自分のリズムを聴くことに向けたアンソロポソフィーという癒しの実践も行われています。認知症者のためのデイサービスでも、思い出の料理を作ることを通してそれぞれが人生の物語を表現するプログラムを遂行した後は、遥かな山々を眺めて活動を終えた充足に浸る時間を大切にしています。
 民俗治療がさかんだというスイスに惹かれて20年ちかくたった今、地域文化を多様な人々が共有する方途、小さな町が孤立せず他の地域に繋がる道、そしてそれぞれのリズムを保ちながら頼り合う暮らし方への興味が増しています。この間、薬学部生時代の同窓生に調査地の紹介や情報をたくさんいただきました。今後は、配置薬の文化や、雪深い地方のエイジ・フレンドリー環境についても考えて行きたいと思っています。