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活薬のひと

 近年、医療における薬剤の貢献度が向上するにつれ、アンメット・メディカル・ニーズ(満たされない医療ニーズ)のより高い疾患へと創薬ターゲットがシフトしています。しかしながら、病因・病態が難解であること等から革新的な新薬の創出は年々困難になってきています。
 米国FDAが1998年から2007年までに承認した252の新薬の内、米国では、約60%がバイオテクノロジー企業あるいは大学で発見されたものであり、いわゆるメガファーマ由来の新薬は半分にも満たない状況にあります。(※1) このように創薬においてアカデミアやバイオベンチャーの役割は非常に大きいものがあり、創薬シーズの着想・探索には組織の規模は必須の条件ではないと言えるのではないでしょうか。極端に言えば、今までにない革新的なものを発見する(あるいはそのきっかけとなる)という意味においては、個人の能力に依存する部分が大きいと思います。
 では、革新的な創薬シーズの探索に必要なこと、そのような発見をできるのはどのような人なのでしょうか。この問いに対する解は諸説あるかと思いますが、私は「境界を超える挑戦心」と「豊かな感受性」が大切なのではないかと思います。

 境界を超えるとは、研究者が過去の経験やスキルの範囲に留まらず、新しい領域に自らの探究心を広げ、複数の知識分野・学問をまたいで、それまで別物とされていた概念を結びつけるということです。
 米国のリー・フッドは、生物学者として抗体を研究していた際、さらに深く研究するためにはアミノ酸の塩基配列を解析する必要性を感じましたが、既成の装置では見たいものが見れませんでした。そこで生物学者だけでは問題が解決できないため、自らエンジニアとして博士号を取得し、カリフォルニア工科大学の講師となってこれに取り組み、タンパク質配列解析装置を発明しました。後に、ヒトゲノム計画の開始を可能にすることとなった自動塩基配列決定装置も発明することになりましたが、その際、次のように述べたと言われています。

 化学と工学、コンピューターサイエンスと生物学を統合する必要があると思い至った。読取った数十億のDNAの配列はコンピューターのデータベースに保存しなくてはならない。そういうことをまとめるのに適した人物が必要だった(自分がそのような人物になる事とした)。学際的なアプローチがいかに重要かを痛感した。

 このように、フッドが最終的に悟ったのは関連する分野を横断するだけでなく、分野を超越しようとする努力こそが発明には必要であるということです。(※2)

 境界を跨ぎ技術を複合化する中でアイデアを創出する、と言う意味では、興味を同じくし異なる分野を専攻する者が集い、大を為すケースも多いと思います。DNAの二重らせんモデルの解明は、生物学者のジェームズ・ワトソンと、もともとは物理学者であったフランシス・クリックによるものであり、異なる分野の融合があったと言われています。

 ある出来事に遭遇したとき、人の反応は様々であり、常識と思う人もいれば、非常識と思う人もいます。研究においてもそれは同じで、新しい発見に気づくことのできる研究者は、それまでに蓄積した高いレベルの知識や多様な経験に加え、種々の現象に対して豊かな感受性や好奇心を持ち合わせているのではないかと思います。
 「セレンディピティ」という言葉は、米国の生理学者ウォルター・キャノンが1945年に提唱しました。セレンディピティは、本来探しているものとは別の、価値あるものを見つけだすこと、またその能力を意味し、幸運な偶然というだけでは発見に結びつかず、判断力を伴った偶然でなくてはならないとされています。それは、偶然に起こった不思議な出来事に、強い好奇心を持つ事と言い換えられます。
 皆さんも良くご存じだと思いますが、ワクチンを発見したパスツールの例もその代表的なものです。パスツールの有名な言葉「チャンスは良く準備された心にのみ微笑む」の通り、「何か重要な現象を見つけたようだ。これが答えになる問題はないか」と考え、予期せぬ結果の重要性を認め、明らかになっていない問題との関連や類似性を探す能力が重要であるということです。
 そして、セレンディピティ的発見をする人は共通した特質を持つことが知られており、それは情熱的な強靭さであると言われています。(※3)自分あるいは他人が計画していた以上の内容まで研究を突詰め、阻止しようとする圧力がある場合には抵抗する。証拠と仮説を可能な限り最高の方法で吟味し、曖昧さから逃げず、偶然の事象を新しい原理が生まれる材料と見なして研究を続けるということです。

 以上述べました2つの視点は、今日の創薬環境において自然に醸成されるものではなく、大学の教育カリキュラムや企業の人材育成のシステムには備わっていないかもしれません。しかしながら、革新的な新薬の創出には今後もブレークスルー(飛躍的な進歩、大発見)が必要です。今後拡大することが予想されるバイオ医薬品や再生医療などの先端医療の分野も含め、先に述べました学際的なアプローチや科学者としての感受性(目利き)が革新的新薬の創製における創造性、効率性の面で益々重要になってくると思います。そのため、組織内外のネットワークを活用した多様な情報のやりとり、人的な交流などの積極的なコミュニケーションの必要性が増すと考えられます。
 医薬・薬学における日本の基礎研究力は、世界トップレベルでありますが、現時点では米国ほどアカデミア発の新薬が創出されておりません。この課題を解決するため、最近、産学が連携するオープンイノベーションの活動が活発になってきております。また、来年4月には政府の日本医療研究開発機構が設立され、基礎研究の成果を実用化に繋げるプロジェクトが実施されます。今後益々、産学官の連携が強固なものとなり、日本の創薬活動が活性化されるよう、日本製薬工業協会の代表として尽力していきたいと考えております。

以上

  • ※1 R. Kneller, Nature Reviews Drug Discovery Vol.9 867-882, 2010
  • ※2 エバン・I・シュワルツ (2013)『発明家に学ぶ発想戦略』、翔泳社
  • ※3 モートン・マイヤーズ(2010)『セレンディピティと近代医学』、中央公論新社