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過去のハイライト

 「私たちの時代はね、男女雇用機会均等法なんてなかったの」「そーなんですかあ」「当時、日本の製薬会社は、どこも4大卒の女子を門前払いしたんだよ。あの○○社も、△△社も。女子を採用していたのは外資系ぐらい」「ええ、ひどーい」「なんの制限もなく、誰でも入社試験が受けられたのがマスメディアだったんだよね」。
 つい最近、企業でばりばり働く30歳女子とかわした会話です。「薬学を出たのに、なんで新聞記者をしているの?」という質問は、これまで何度となく受けてきました。そのつど、いくつかの要素を適当に組み合わせて答えてきましたが、「女子門前払い」はそのうちのひとつ。実際、当時の日本の製薬企業はとても保守的で、私たちの行く手をはばんだのは確かですが、でも、私が「道を踏み外した」理由はそれだけではありませんでした。
 この原稿の依頼をいただいたのをきっかけに、久しぶりに、「職業選択」について考えてみたいと思います。

 まず、薬学部を選択したワケは、大きく分けて二つ。まず、理系の研究者になりたかったこと。そして、理系の学問の中で女子にもチャンスがありそうなのは薬学じゃないかと漠然と(浅はかにも)思ったからでした。
 その「妄想」は、あえなく打ち砕かれました。まず、研究者の方ですが、ともかく実験がへたくそ。3年生の学生実習で思い知らされ、これは大成しないと気づきました。そして、「女子にもチャンス」は、冒頭に述べたとおりです。
 というわけで、門戸を広くあけていたマスメディアに方向転換したわけですが、その選択の理由は大きくわけて3つ。まず、書くことが好きだったこと。次に、大学生の時に、あるきっかけで出版社の編集者たちと知り合うきっかけがあり(詳しく語ると長くなるので割愛)、「そうかあ、世の中にはこういう仕事があるんだ」と思ったこと。そして、「世間知らず」「人嫌い」を直したかったことです。
 こうして振り返るとよくわかりますが、「公権力と闘うジャーナリストになろう!」という強い意志があったわけでも、「薬学のバックグランドを生かして社会に貢献しよう!」という志があったわけでもありません。いったん、人生をリセットしよう、というくらいの気持ちで新聞社に入ったわけです。
 ただ、支局で警察を回ったり、東京で都庁をカバーしたりするうちに気づいたのは、やっぱり、科学というフィールドが好き、ということでした。
 結局、科学をカバーする部署で長年過ごし、現在は、論説室と言う部署で科学や環境関係の社説を書いたり、コラムを書いたりしています。
 そこで、よく聞かれるのは、「薬学を学んだことが、役に立ってきたか」。答えは、「イエス&ノー」です。
 薬学出身なので、医療や薬の分野を専門に担当しているのかと思われるかもしれませんが、まったくそうではありません。科学・技術・環境に関係のある非常に幅広い分野を担当してきました。新聞社が求める人材は基本的にジェネラリスト。その時々に起きることに対応し、なんでも一通りこなせないと、お話にならない面があるからです。
 余談ですが、時々、「新聞社やテレビ局の科学記者は博士号を持っているべきだ」という意見を耳にします。これは大きな誤解だと思います。もちろん、博士号を持っていて悪いわけではありませんが、その専門分野について記事がかけるのは、1年に1回かもしれません。とても狭い分野だけに詳しくても、「商売にならない」わけです。
 一方で、専門性が重要な場面もあり、個人的にはライフサイエンス系(特に遺伝子技術)にかなり力を入れてカバーしてきました。それでも、大学で学んだ知識が直接役に立つわけではありません。むしろ、その時々で専門家に聞きつつ、学んでいくことが重要でした。
 ただ、「科学的・論理的な考え方」という点では、薬学を学んだことが生かされているはずです。それは、他の分野にも通じることだと感じます。

 記者生活を大きく変えたのは、2011年3月11日の大震災と原発事故でした。これ以降は、取材対象も、書く内容も、気分も、大きくシフトしました。
 科学記者とは何か、ジャーナリストとは何かを、根本から問い直されるできごとだったからです。
 これは、おそらく、薬学を専門とする方々にとっても同じではないでしょうか。こうした大災害が起きたときに、必要な人に薬をどう届けるか。崩壊した医療体制をどう立て直していくか。専門家として何をすべきか。さらには、もともと割り当てられている自分の役割を超えて、どこまで、「人々のための仕事」を創造していかれるか。そんなことが問われるできごとでした。
 実は、震災後に、ちょっと驚いたアンケート調査がありました。文部科学省の科学技術政策研究所が震災の年の9月に、理工系を専門とする大学教授や企業の部長クラスを対象に実施したものです。
 回答した796人のうち、東日本大震災を経て「これまでの自分の研究活動に変えるべき点がある」と答えた人が45%。「特に思いあたらない」と答えた人が54%だったのです。言い換えると、2人に1人が、あの震災や原発事故を経験してもなお、研究活動という観点では変わらなかったことになります。しかも、回答には専門分野による違いが見られませんでした。
 もちろん、「変わらない人」がいる一方で、「変わった」科学者にもたくさん接しました。それが、少しずつ、社会を変えていく力になっているように感じます。

 なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、薬学を学び、これから社会に出ていく若い人たちへのメッセージは、大きく分けて二つ。
 薬学を学んでいるからといって、「薬学らしい」職業につくとは限らないし、それだけを念頭におく必要もない。ただ、しっかり学んでおけば、他のことに転用可能なものの考え方が身につくはず、というのが一点。
 もう一点は、「薬学らしい」仕事についたとしても、それを超える何かを社会が求めることがある。それにこたえるために、専門分野にとどまらず、広い視野と柔軟な考え方を身につけていってほしいということです。

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