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今月の薬草
テンダイウヤク
Lindera strychnifoliaVILLAR ( クスノキ科 )
テンダイウヤク Lindera strychnifolia Villar (クスノキ科)花 テンダイウヤク Lindera strychnifolia Villar (クスノキ科)果実
果実
−写真は昭和大学薬学部薬用植物園ホームページより転載−
 中国原産。雌雄異株。薬用植物園などで栽培する常緑の小高木で,西日本の温暖な地域にも帰化しています。日本へは江戸時代の享保年間(1716-36)に薬用として渡来しました。根の一部は肥大しています。葉は互生し,葉身は3本の葉脈が目立ち,楕円形で先端はやや尖っています。葉裏は白色を帯びています。花は小さく淡黄色で散形状について春に咲き,果実は球状で秋に黒紫色に熟します。全株,特に根は折ると特有の芳香があります。
 薬用には肥大部分の根を用います。生薬名をウヤク(烏薬)といい,消化不良などの改善を目的に芳香性健胃薬とします。ちなみに和名のテンダイは中国浙江省の天台山を意味し,この地方で良質な生薬が産出されたことに由来します。ウヤク(烏薬)とは,生薬に用いる肥大した根をカラスに見立てたことから,あるいは果実がカラスのように黒紫色に熟すことから名づけられたといわれます。
 健康に勝るものは何もありません。古今東西,権力者はその地位を利用し,不老長寿の薬物を捜し求めていました。中国の歴史書の史記によれば,秦の始皇帝(紀元前259-210)は思うがままに中国を統治していました。そのため家臣の一人,徐福に不老長寿の薬草の捜し,持ち帰ることを命じたということです。そこで徐福は三千人の男女を従えて探索の旅に出発しました。たどり着いたところは定かではありませんが,一説によれば日本といわれています。そのため日本各地に徐福の伝説が残されていますが,紀伊半島の熊野地方もその一つです。そこで徐福は不老長寿の薬草(木)を見出しましたが,秦の始皇帝は暴君として皆から恐れられていましたので,中国に帰らず日本に留まり帰国しなかったということです。この発見した薬草がテンダイウヤクであるといわれています。しかし前述しましたように,テンダイウヤクの日本への渡来は享保年間ですので計算が合いませんね.徐福伝説に不老長寿の薬草としてテンダイウヤクが登場したのが江戸時代頃ではないかと考えるのが妥当のようです。それ以上に健胃薬がどの様な経緯で不老長寿の薬物として徐福伝説と結びついたのか,とても興味があるところです。(磯田 進・鳥居塚 和生)

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